頭から氷水の謎は墓の中まで

最近、結構目にする謎のキーワード『氷水』。

この世間を流通するちょっとした話題のキーワードだが、内容はいまだに謎で死ぬまで知らなくてよいと思っている。

おそらく、ただ氷水を頭からかぶるのでないことはわかるのだが、なんらかの量産民受けする要素があるんだろう。
温暖化対策とかなんらかの手軽な啓蒙活動だったり、慈善活動の新種であったり、反原発とかの抗議の市民運動とかだろうか。

一般受けする要素は、多分そんなところだ。
ただし、20~30年前程のような話題重力はないようだが、最近では帰省ラッシュ以外の話題では珍しいかもしれない。

『氷水』関連のヤフーニュースの記事は一度もタイトルをクリックしていないし、テレビニュ ースも飛ばしてしまう。

『氷水』の賛否?を問う以前に、このことは死ぬまで知らなくても良いと判断した。

それは、まず氷水をかぶるという行動が、直接的には絶対にいかなる新しい効果・効用・精神的な進歩や進化もないと確信できるからだ。

さらに間接的なシンボリック行為だとしても、同じだ。
草の根運動していたのか知らないが、去年まで『氷水』は手の届く範囲の情報キーワードとして存在していなかったはずだ。

メディアが”ネタ”を育てたいのは、痛いほどわかる。
でも『氷水』はノーだ。この情報キーワードについてまったくの謎を墓の中までもっていくことにした。

量産民の中でも自分がまだマシだと思えるのは、こうした謎が死ぬまで必要ない雑音であることが判断できるようになったことだと自賛する。